日曜日の朝日新聞で、ジャズ喫茶が滅びよう(正確には、滅ぼされようか?)としてるって記事を読んだ。僕自身、ジャズのものすごいファンってわけじゃない。でも、ジャズ喫茶は大切な日本文化のひとつだと思ってる。いや、事はジャズがどうこうって問題じゃなく、音楽を単にBGMとして使っている店にまで、あてはまるんだ。
ジャズ喫茶って何?って人も多いと思う。簡単に言えば、喫茶店なんだけど、リクエストすると聞きたいレコードをかけてくれたりする。バーみたいにチャージがあるところはほとんどなくて、コーヒー一杯で何時間も粘る人がほとんど。最近はそうでもないけど、コアな店は私語厳禁!なーんて感じだ。
個人的には、早稲田のモズ(ママさんが亡くなり、クニさんに引き継がれ、そして店は無くなった)、歌舞伎町のナルシス(フリージャズ中心。いぇーい!)にはお世話になった。野毛のちぐさのマスター(亡くなった)に「このレコード良いですね」って言ったら「どこにも売ってないよ!」って、自慢されたのを思い出す。
ジャズ喫茶スワンのホームページ(JASRAC問題に関する記事、掲示板あり)
http://www4.ocn.ne.jp/~swan/
以下に「JASRACを考える:新潟の老舗JAZZ喫茶SWANにJASRACが過去分請求552万円」より引用。
http://blog.livedoor.jp/jasrac1/archives/4242682.html
「著作権」という強風直撃
新潟のジャズストリートを「著作権」という名の強風が吹き抜けている。十一月十九日、日本音楽著作権協会(JASRAC)は新潟地裁に対し、新潟の老舗ジャズ喫茶「スワン」が、店内演奏で使われる曲の著作権使用料五百五十万円余りを支払っていないとして、演奏差し止め、楽器、レコードの差し押さえなどを求める仮処分を申し立てた。同様の請求は他の音楽喫茶に対しても強められている。新潟のジャズ文化をはぐくんできた小規模な営業と著作権保護という大義名分を両立させるハーモニーは成り立たないのだろうか。
日曜の七日夜、新潟市西堀通四の喫茶スワンでは、週末恒例の生演奏が行われた。狭い店内に、地元演奏者の熱気がこもる。耳を傾ける客の数はわずか三人だが、開店から三十九年という市内きっての老舗が、ジャズを根付かせたいと続けてきているイベントだ。だが、ライブも店自体の営業もいつまで続けられるのか、店を切り盛りする和田和子さん(五十四)の表情は暗い。
JASRACがスワンに対し、生演奏や店内でのレコード演奏についての過去十年分を含む音楽著作権使用料の支払いを求め、本格的交鈔に入ったのは今春。しかし、分割払いでも憑き月々五万円以上になる支払額に対し、スワン側は「経営が成り立たない。売上の実態に合った支払いにしてほしい」と主張した。
「仮処分」
コーヒー四百円。ライブは二千円。昨年度、同店の売り上げは五百八十五万円だったが、経費を除いた利益は十八万円。経費には人件費は含まれておらず、夫の孝夫さんが運転手などで働いて生活を支えている。しかし、裁判所での調停は整わず、JASRACは「違法状態を放置できない」と仮処分請求を行った。生演奏に対して県内で初の申請だった。
同様の請求は他のジャズ喫茶などにも行われている。新潟古町通六の「JAZZ・ママ」が先月十九日閉店。お別れライブでミュージシャンや愛好家は三十五年以上続いた老舗との別れを惜しんだ。同店もJASRACから、過去分も含め三百万円以上の支払い請求を受けていた。
中略。。。
経営者らはいま、署名運動の準備を進めている。「著作権使用料を支払う必要があるのは分るが、収入に応じた算定をしてほしい」「もうけ目当てでなく、手弁当でジャズ文化をはぐくんできた」「街から音楽の灯を消さないでほしい」というのが経営者らの思いだ。
「万引きだ」
こうした声に対し、大宮支部の高野勝彦支部長は「個別の店の収入を把握するのは実質的に不可能。作詞、作曲家ら著作権者の権利を守らなければ音楽文化は育たない」と答える。新潟県担当者は「不満があるから使用料を払わないのは、品物の値段が高いのを理由に万引きするのと同じだ」とも付け加えた。
著作権など知的財産権に詳しく、今回経営者から相談を受けている新潟第一法律事務所の相馬弁護士は「特許など工業所有権では、売り上げに対する比率などで個別に使用料を決めている。音楽著作権では類別ごとに当てはめているから、ある意味で硬直化している。ルールを順守しやすい仕組み、実態に合わせた運用があっていいのではないか」と語る。
ネット上の利用や携帯電話の着メロなどでJASRACの取り扱う年間使用料は千億円を越え実質的な「独占状態」にもある。新たにBGM的に音楽を流す店舗からの使用料徴収も始まっている。すそ野が広がり、巨大になるほど、その運営の柔軟性、透明性がもとめられるのではないだろうか。
(新潟日報2003年12月13日記事全文引用)