伊藤穣一さんのブログから、中国における反日抗議についての記事を翻訳しました。
Chinese Anti-Japan Protests
http://joi.ito.com/archives/2005/04/19/chinese_anti-japan_protests.html
中国における反日抗議
反日抗議を訴えている中国国内のブロガー達について、
Andreaが書いた素晴らしいブログ記事がある。
中国に大いなる共感と関心を持つひとりの日本人として、それら様々な議論を理解すること、日本人がどう対処できるかを考えること、は難しいと感じた。特に、何人かの中国人の敵意に溢れた過激な行動には、対話することさえ怖くなる。同時に、中国における過激行動は、日本の国粋主義者をあおり、適切な議論を生むのに役立っていない。憎しみは決してコミュニケーションを生まないと、僕は信じる。
最も大きな問題の1つは、ほとんどの日本人がこの件を理解していないこと。もう1つのポイントは、ほとんどの日本人は軍隊の積極的な支持者でないこと。日本の軍隊を考えるとき、汚い国粋主義的な考え方を、僕はしない。むしろ、第二次世界大戦後まで政党政治が途絶えることになった、
1932年5月15日の
犬養首相の暗殺を考える。日本の軍隊が政府を乗っ取り、歴史上、最悪の時へと突入していったことを考える。神風特攻隊や人間魚雷として戦争に送られた小さな子供達のことを思い、靖国神社にまつられている人たちからの手紙について考える。おびえた少年達が、戦争に行くことがどれだけ恐ろしいかを書いた手紙が何通もある。ほとんどの日本人は軍隊を信じていないし、ほとんどの日本人は30年代の軍事政府は、クーデターの結果生まれた非合法の政府であったと信じている。多くの日本人は、日本国民は軍隊の犠牲者であったと信じている。
とは言っても、日本の教科書や教育は、中国での日本軍の行為を過小に記述しているし、日本の教科書は改善されるべき重要な問題であると信じる。中国人と韓国人がどれくらい犠牲になったかを、日本人は理解していないと痛感している。その根源は、この教育にあると信じる。日本の教科書の問題はこれだけではない。日本の教科書は「革命(revolution)」や「内戦(civil war)」といった単語を使わない。「明治維新(Meiji Restoration)」「アメリカ独立戦争(American fight for independence)」といった単語が使われ、「the US Civil War」は「南北戦争(North South War)」になっている、等々。Piを簡素化して3にする動きもあった。つまり、日本の文部科学省には全面改革が必要だ。さもなければ、代わりにWikipediaを使用すべきだ。
中国の人たちに抗議を受けているこの問題をつまらないって言う気はないが、もし彼等が日本の変化を望むなら、敵をおどして服従させようとするのではなく、僕のような日本にいる普通の人たちと話をすることができるのではないか?日中の活動家と専門家との間に合理的な架け橋を築く戦略的努力は、この問題の解決にきっと役に立つ。
僕は完全に的外れかな?